商品の詳細
ご覧のような小森忍の高台皿一対と、一点です。一対は10年以上前に入手しました。一点は10年は経っていません。自宅保管していました。河井寛次郎、濱田庄司と並び日本の陶磁器研究に尽力しました。出品の作品も美術館クラスだと考えます。陶磁器コレクションには欠かせない品物です。\r以下インターネットから抜粋した略歴を貼っておきますのでご検討よろしくお願いします。\r\r\r(以下は)江別市の公式サイトより\r明治の末から大正の初めにかけて、浜田庄司や河井寛次郎といった、のちに有名になった陶芸家と共に京都市立陶磁器試験場につとめた陶芸家に、小森忍という人物がいる。 小森は明治22年に大阪の本覚寺住職の次男として誕生。6歳で父と死別し、19歳で小森家の養子となった。大阪高等工業学校窯業科を卒業した小森は、京都の陶磁器試験場に入り、場長から特に中国古陶磁器の研究を命じられた。小森は釉薬(ゆうやく)の研究で優れ、浜田はその著『無盡蔵』で「小森はどんな品物を見ても、見たとたんに、これは化学式ならばこうだろう、パーセンテージに直せば原料的にこうだろうと語った」と書いてある。 その後、満鉄中央試験所を経て小森陶磁器研究所を創設。名古屋製陶所につとめたのち、昭和16年7月、今の上野市外山に(財)佐那具陶磁器研究所(略称 =陶研=)を設立し、所長、理事長に就任し、中国倣古陶磁器の研究に没頭した。所員は10名前後で、その中に上野市西高倉の日根野作蔵がいた。日根野は陶磁器のデザイナーとして、伊賀焼の発展と、特に美濃地方の若手の育成に尽した人である。 陶研での作品は、一般向けの製品には「府中窯製」美術工芸品には「文彬亭造」と打込まれている。小森はこの陶研に18年5月までのわずか1年10ヶ月間しか在任しなかったが、その作品は今も佐那具町のK家などに残されている。 昭和37年9月4日、北郷の地・江別で静かに息を引き取った。享年72歳であった。
カテゴリー: | ホビー・楽器・アート>>>工芸品>>>陶芸 |
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商品の状態: | 目立った傷や汚れなし |
配送料の負担: | 送料込み(出品者負担) |
配送の方法: | 佐川急便/日本郵便 |
発送元の地域: | 東京都 |
発送までの日数: | 2~3日で発送 |
商品の説明
最新のクチコミ
これともう一つ2000円近くするスワロの方も購入したのですが、透明感が好きな私としてはこちらの方が気に入ってます。変にオーロラ色をつけていない、自然の光がキラキラ、キラキラしていてとても心が癒されます。こんな素敵な物を今まで知らなかった自分に−☆5個です!今は販売289円で販売していないようですが、お薦めですよ。これとおなじ色付き(ブルーやイエロー)が欲しくなりました。
- ダル飯アン
- 21歳
- アトピー
- クチコミ投稿 1件
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記載のとおり、一部にオーロラの色づけがしてありました。透明感が好きな自分としては色付けが無かったほうがよかったですね。なので−☆。太陽の光を集めて放つ光のファンタジーはとても癒されます。物質欲ではなく心の浄化のために良い買い物ができました。
- スズシロ、
- 29歳
- アトピー
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